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丹野まさよしとがんばり隊

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追悼演説:高橋史光先生を偲んで

追悼演説
14番 丹野政喜

本市 市議会議員 高橋史光先生は、平成二十三年三月十一日、東日本大震災の直後に発生した津波に巻き込まれ逝去されました。

享年六十二歳でありました。誠に痛惜の念に堪えません。私はここに、高橋史光先生の御霊に対し、謹んで哀悼の言葉を捧げます。

先生は、昭和二十四年十二月十五日、名取市閖上にお生まれになり、閖上の豊かな自然環境に育まれ、その後、仙台商業高校、東北学院大学へと進まれました。卒業ののちは、大丸デパートに就職をされましたが、家業の「たけや商店」を継ぐために、閖上に戻られました。

家業の傍ら、地域の青年団活動や商工会活動に没頭された先生は、やがて、リーダーとして頭角を現し、若くして、閖上商業振興会 理事長として活躍され、閖上地区の商業振興に尽くされました。

平成十五年には、その功績が認められ、名取市商工会会長に選任され、名取市経済界の舵取り役として、その手腕を発揮されました。

また、平成十六年には、多くの支援者に支えられ、名取市議会議員に当選されました。次いで、平成二十年に見事再選を果たされ、建設水道常任委員会委員長に就任し、市議会でもリーダーシップを発揮されたのであります。

また、先生は、名取市議会創政会の代表として、総括質疑や討論に登壇され、いつも深い洞察と高い見識を示してくださいました。また、一般質問にも毎回のように立たれ、名取市政に対し、多くの貴重な提言をなされてこられました。

特に観光問題と防災問題には、熱心に取組んでおられました。名取市の観光資源を掘り起こした「なとり百選」は先生の一般質問をきっかけに生まれました。
また、名取特産品のブランド化事業を推進するために、意欲的に研究され、多くの名取ブランドを誕生させる原動力となられました。その功績は、誠に大きなものがあります。

防災問題では、地震津波等へ対応する行政防災無線の整備や災害時における、障害者や高齢者などの要援護者対策など、様々な角度から質問をし、市の対応を求めました。
特に、昨年の第五回定例会での一般質問では、津波問題を取り上げ、北釜地区と仙台空港ビルとの連携強化のあり方について、具体的な提言をされたばかりでありました。いま改めて、会議録を読み直す時、熱心に訴えられていた先生の声が行間から蘇ってまいります。

郷土を愛し、持ち前の笑顔で 人々を結びつけ、スポーツマンらしく、颯爽と行動していた光景を思い浮かべながら、いまこうして先生の一言一句を振り返る時、万感、胸に迫るものがあります。

先生、そこから、私たちは見えるのでしょうか。
あなたが愛した ご家族やお孫さんの声を、聞くことはできるのでしょうか。
一緒に津波に遭われた、奥様の律子さんは、そばに居られるのでしょうか。
どうぞ、いつまでもしっかりと 手を握ってあげてください
いつもお酒を飲むと、家族の話題に目じりを下げていた、良き父親でもありました。

そして、先生は懐の深い豊かな人間性を持った人でした。いつも、たくさんの友人に囲まれ、笑い声が絶えませんでした。

未曾有の大災害から十日あまり、全国の死者数は八千八百人をこえ、いまだ安否が分からない不明者の人は、一万二千人を超えています。
それぞれに人生があり、豊かな思い出があったはずなのに、津波は一瞬にして、すべてを奪い去って行きました。そして、いまだに三十数万の人々が不自由な避難所での生活を続けています。
閖上や北釜の壊滅した街の一角に立ち、泥とがれきの山を目の前にすると、絶望感に言葉を失います。
しかし、私たちは、いま「残された者として、何をなすべきなのか」と真剣に問いかけています。そして、名取市の明日のために、立ち上がり歩き始めようとしています。
復興に向けて、なすべきことをなし、志半ばに亡くなられた先生の分まで、松明(たいまつ)を高々と掲げ、市民と力を合わせて進んでいく覚悟です。先生、どうぞ見守っていてください。

ここに、高橋史光先生が生前に残されました数多くの業績とお人柄を偲び、謹んでご冥福をお祈りしながら、名取市議会を代表し、お別れの言葉といたします。



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